法然上人と浄土宗

梅窓院は、浄土宗のお寺です。

浄土宗

お墓をお求めになるとき、交通の便や立地、そして雰囲気など気になることはたくさんあると思います。
景観にすぐれ、広々とした環境のお墓を気に入る方もいますし、また、お寺の墓地が落ち着く、という方もおります。お寺のお墓にお参りすると、それぞれの寺の歴史を感じていただくこともできるでしょう。
お墓は、もちろん第一義的には亡き人を偲び、み霊とのこころの交わりをつづけていく大切な施設です。

一方、それぞれのお寺には、所属する宗派があります。
仏教は、人の生き方に指針を与える教えですが、その仏教が、時を隔てて、いくつかの水脈に分かれていきました。日本の各仏教宗派は、先師たる仏教者が命を懸けて打ち立てられた、私たちの目指すべき「生き方」を出発点としています。
亡き人を想う大切な時を持っていただくとともに、お参りしていただく皆様の「生きる力」の支えにもなるのがお寺の役目だと思います。

梅窓院は浄土宗のお寺です。

浄土宗とは、どのような宗派なのでしょう。
どなたがお開きになり、そのような教えを残されたのでしょうか。
ここでは、浄土宗開祖、法然上人について触れてみたいと思います。
浄土宗の教えは、無限のひかりと無限のいのちを意味する阿弥陀仏を信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えることを第一とします。
毎日の生活の中で人格をみがき、自分以外の人のことを想い、明るく正しく仲良く生活することを願い、いのちの尽きる時がきたならば、すみやかに迷いの世界を離れ、浄土往生が叶えられるという教えです。
そして、西方(さいほう)極楽浄土(ごくらくじょうど)に至ったならば、先立たれた大切な方と再会し(倶会一処(くえいっしょ))、ともに成仏を遂げていくことを目指します。

法然上人は現在の岡山県久米郡(くめぐん)に生まれました。
鎌倉仏教のリーダーと称されることがありますが、誕生したのは平安時代になります。
80年の生涯は、また社会が大きな変化を遂げる時代でありました。いかに乱世だったかは、天皇が10代と目まぐるしく変わり、年号にいたっては30回も変わってしまったことからも想像できます。
歴史上の出来事でいえば、保元(ほうげん)の乱、平治(へいじ)の乱、興福寺(こうふくじ)の焼き討ち、平家の滅亡など事件の連続でした。
少々堅苦しい言い方をすれば、日本の古代社会から中世社会への変化であり、古代律令制(りつりょうせい)が崩れ、武家社会に移っていく時代といえます。ということで、武力をもって相争うことが珍しくない時代に生きた方であったわけです。
争乱が悲惨な境遇を人にもたらす、というのは今も昔も変わりません。

法然上人9歳の時、父が対立する武士の夜討ちに会って急死してしまいます。今でいうと、親を殺された犯罪被害者の子、と同じような体験かもしれません。
武士の子という環境から、縁をたどって山寺に移り住むことになりました。
仏教の徒としての生活の始まりです。
少年ながら、才知は群を抜いていた法然上人は、やがて比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)に入山します。延暦寺は当時の日本仏教の一大拠点でありました。法然上人の仏教研鑽が始まったのです。法然上人の師になった学僧は皆、法然上人の才に驚きます。
しかし、仏典の研究がすすめばすすむほど、法然上人には自身の求める仏道とのちがいが自問されるようになっていったのです。
若くして「智慧第一の法然(ほうねん)(ぼう)」とたたえられていた法然上人ですが、仏教という巨大な体系に取り組めば取り組むほど、自分自身にとっての仏教、また仏道とは何か、が問題になっていったのです。

平安仏教の双璧は、真言宗(しんごんしゅう)天台宗(てんだいしゅう)でありました。
この二大宗派は、いってみれば文明先進国、中国から輸入された高度な思想、哲学、実践の面があります。その眼目は、悟りを目指す教え、ということになるでしょう。別の言葉でいえば、厳しい修行と研鑽を求める宗教となります。
法然上人は、その天才をフルに活用して学問に打ち込みました。もちろん、天台宗の僧としての学は完璧でした。真言についてもち密な研究をされています。
法然上人が、当時の仏教教理の理解において、最高水準に達したのは間違いありません。
しかし、上人は内省の人でした。
よくよく深く自己自身を顧みていくと、こうした学問探求によって、悟りにいたることは、ほとんど不可能な道なのではないか、ということに思い至るのであります。
人間が人間の心を制御することなど、望んでもかなわないのではないか、と気づいたのです。
さらに法然上人の知的格闘が続きます。天台の僧侶、恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)の「往生要集(おうじょうようしゅう)」と出会ったのはそんな時だったのです。
法然上人の生まれる以前に執筆された往生要集ですが、阿弥陀仏の極楽に往生するためには、念仏の実践が大切と説かれた書物です。往生要集は、たしかに法然上人にある方向を示しました。

往生要集によって念仏の功徳が自覚された上人に、つぎの転機が訪れました。

当時から600年も昔、唐で活躍した、浄土教の大成者、善導(ぜんどう)に行きあたります。
善導は長安の都を中心に活躍した坊さんです。たくさんの著作を残していますが、法然上人が注目したのは、「観経(かんぎょう)(しょ)」というものでした。
善導は、まず仏教の修行をいくつかに分類整理したうえで、称名(しょうみょう)つまり、仏の名を称えることが最も優れた行であると、明記しています。
法然上人は、「これだ!」と思ったに違いありません。
それまで、苦闘してきた仏教の研鑽の過程が、すーっと晴れていくかのように感じたことでしょう。
ただひたすら、南無阿弥陀仏と唱えるだけでいい。ただそれだけなのだ。それが、仏の願いなのだ。こころを統一し、煩悩を絶つなどのことは必要ない。
(くう)とか、真如(しんにょ)などの真理を悟る必要もない。
煩悩があればあるままに、こころが乱れていれば乱れたままに、南無阿弥陀仏と称えればいいのだ、と。

貧しい人、無学な人、立派な生涯を送ったとは言えない人、どんな人でも救われる道が開かれたのです。
悟りを目指す宗教から、救いの宗教への転換ともいえるのではないでしょうか。




法然上人の時代から800年以上がたちました。

上人には、自分自身、自己を徹底的に見つめていく姿勢があります。言葉を換えれば、人間の限界を認識するスタンスでした。
人類は地球的規模の問題を抱える時代になりました。
さらに人間の活動は近い将来、地球を超えていくかもしれません。発展、進歩は喜ぶべきですが、一方で、私たち自身の「こころを見つめる」ことの大切さも大きくなっているのではないでしょうか。
人間の限界をわきまえる。環境と人とのかかわりを理解する。

他者とのつながりに気づき、協力し助け合うことを大切に思う。

もちろん、亡き人も含めて、人と人の縁に想いをいたす。
時代の変化にもかかわらず、大切にしたいことです。
謙虚に自身を見つめ、正直にこころと対していく姿勢は、今の時代こそ必要です。
法然上人のお言葉「愚に還る」を、ふかく味わってみたいと思います。

その他の宗派について


開祖 親鸞聖人

浄土真宗

開祖、親鸞聖人は浄土宗祖、法然上人に帰依し生涯弟子としての意識を持ち続けました。
法然上人滅後、念仏の意義について弟子たちの中に考えの違いが生まれたとき、親鸞聖人は念仏を称えることは、阿弥陀仏のはたらきそのものによるとされました。
そして阿弥陀仏による救いは、すでに私たちにおよんでおり、念仏を称えることは阿弥陀仏への感謝することととらえられたのです。

真言宗

弘法大師空海が唐に渡り、当時の中国仏教の中から、密教と呼ばれる教えをもって帰国しました。
本尊は大いなる智慧と慈悲をもつ大日如来とされ、人は「仏のようなこころをもち」、「仏のように語り」、「仏のように行う」という生き方を指針とします。
この教えにより人々がつとめ励むならば、理想の世界である密厳浄土が実現するという教えです。

開祖 空海(弘法大師)




開祖 最澄

天台宗

妙法蓮華経(法華経)を根本経典とします。ひとは、どんなひとでも生まれながらに仏性をもっている。すべての衆生は仏になれる、という立場です。
ひとは一人ひとり個性や違いがあります。だれにでも平等に仏性があるということは、それぞれが大切に扱われるべきということになります。
一方、私たちの行動はあらゆることにつながっており、お互いに影響しあっているということを説きます。

日蓮宗

鎌倉時代、災害や外国からの圧迫によって、世の中の不安が高まりました。
千葉県(安房の国)に生まれた日蓮聖人は、数多くの経典のうち「法華経」こそ仏教の真髄であると考え、「南無妙法蓮華経」と唱える題目を掲げた仏教者です。
間違った仏教が蔓延していることが国難を招いている、として幕府や他宗を厳しく批判したため、何度も弾圧を受けました。
日蓮聖人の門流は多くの分派を生み、今日、新宗教と呼ばれる運動につながっています。

開祖 日蓮上人


開祖 栄西禅師

臨済宗

救いを求める仏教とは異なり、「自覚」の宗教と言われています。儀式よりは、日常の生活の中に大切な修行が込められていると考えます。
「一掃除、二看経」などと言われ、生活の所作こそ大切にされなければならないという立場。
座禅を悟りにいたる手段と考え、それにより真実の自己に目覚めていくことで、一切の迷いから解放されていくという教えです。

曹洞宗

お釈迦さまが座禅(瞑想)によって悟りをお開きになったことこそ大切という教えです。
座禅によってこころと身体がやすらぎ、理想の境地にいたることができる、といいます。
お釈迦さまのこころ「仏心」は、自分だけでなく、他のひとも含めて、みな大事という思いやりのこころになります。
私たち一人ひとりが毎日の行動を整えることを目指す教えです。

開祖 道元禅師